東京高等裁判所 昭和40年(ツ)123号 判決 1966年5月24日
上告人 高橋ふぢ
被上告人 山中糺
主文
原判決を破毀する。
本件を横浜地方裁判所に差戻す。
理由
上告理由について
原審が、上告人と被上告人との間には、農地である本件土地についての所有権移転の合意が存在しないから、これに対し農地法第五条による県知事の許可があつたとしても、右当事者間に本件土地の所有権移転の効果を生じ得ないとして、上告人の請求を排斥していることは、上告人の主張するとおりである。原審は右判示をするに当り、挙示の証拠によつて、次の事実を適法に認定している。すなわち、被上告人は昭和三一年一二月頃その所有の本件土地一筆及びその他の土地・建物三筆を、訴外小林守に対する金四〇万円の債務の弁済に代えて同人に譲渡することを約した。小林守は、右土地・建物全部を上告人に譲渡することになり、農地である本件土地については昭和三二年一一月頃被上告人に相談した結果、手続を簡略にするために、許可申請手続上は被上告人から直接上告人が本件土地上に畜舎を建築するため農地法第五条による県知事の許可を条件に譲り受ける形式を採つて、右当事者が同知事に右の許可申請書を提出し、許可後は被上告人から直接上告人に所有権移転の登記をすることとした。その頃被上告人の妻は、本件土地の権利証である神奈川県知事作成の被上告人に対する本件土地の売渡通知書を大和市の農地委員会から受け取つてきて小林守に手渡し、被上告人は、右申請許可後の所有権移転登記のため、同人名義の白紙委任状及び同人の印鑑証明書各一通を小林守に交付した。小林守は、右の事情をその頃上告人の代理人である訴外高橋亀市に話し、同人もこれを了承した。その結果、昭和三二年一二月三日小林守と右高橋亀市との間に、本件土地を含む合計四筆の上記土地・建物を、地上に存する豚舎も含めて、代金四三万円で売買する旨の合意が成立し、本件土地については、小林守から高橋亀市に対して前記売渡通知書、被上告人の白紙委任状及び印鑑証明書が交付され、その他の土地・建物については、それぞれ上告人のため所有権移転登記が経由された。そして、前記合意に基づいて、その頃被上告人と上告人との連名で、本件土地について農地法第五条による農地移転許可申請書が提出され、神奈川県知事は昭和三四年三月一日右申請を許可した。原審は右認定事実に基づき、本件土地について被上告人と小林守との間で代物弁済の合意がなされ、次いで小林守と上告人との間で売買契約がなされ、さらに右契約の実現として、いわば中間省略的な形式で、上告人と被上告人とが共同で知事の許可申請手続をなし、これに対する知事の許可がなされたものと解すべきであるとし、上告人と小林守との間には、本件土地の所有権を県知事の許可を条件として被上告人から上告人に移転し、許可後は直接右所有権移転登記をする旨の第三者の為にする契約が成立し、上告人はその受益の意思表示をした、との上告人の主張を排斥しているのである。右許可申請手続が、契約の実現として、いわば中間省略的な形式でなされたとの原審の判示は、稍々理解に苦しむが、要するに、実体と無関係に、行為の外形を整えるためにのみなされたに過ぎない趣旨をいうものと解される。しかしながら、上記原審の認定したところによれば、被上告人は、小林守に対して本件土地を代物弁済に供することを約したが、未だその所有権移転登記手続を履行していないのはもちろん、これについての県知事の許可も得ていなかつたことが明らかで、同人から本件土地の所有権の譲渡について相談を受けた際には、その相手方は上告人に特定されていたのである。このような事情の下で、被上告人は、本件土地所有権移転の許可申請を上告人と共同でなし、許可後は登記簿上の所有名義を被上告人から上告人に対して直接移転することを承諾したというのであるから、他に特段の事情のない限り、被上告人は実体上の所有権も被上告人から上告人に対して直接移転する意思を有し、これを承諾したものと認めるのが相当である。農地の所有権の移転は県知事の許可を得ない限り効力を生じないのであるから、その許可申請を共同でなすことを承諾した場合には、所有権が有効に順次移転されていることを前提とするいわゆる中間省略登記を承諾する場合と同一に論ずることができないのは当然といわなければならない。従つて、原判示のごとく、被上告人と小林守との間に成立した上記合意が、実体上の所有権の移転と関係なく、たんに、県知事に対する許可申請及び許可後の所有権移転登記について、形式上の手続を履践することのみに関するものに過ぎないとするためには、上記のとおりなんらかの首肯するに足りる特段の事情が存在することを要するものといわなければならない。若しこのような特段の事情も存しない場合には、上記判示の趣旨に照し、第三者である上告人のためにする契約が小林守と被上告人との間に成立したものと認める余地は十分に存するし、或いは上告人と被上告人とが共同で知事の許可申請を提出したときに、右両者の間に直接の契約が成立するに至つたものと認定される余地もないではない。原審がこれらの点に思いを致さず、上記特段の事情の存することについてなんらの判断もなすことなく、たやすく原判示のごとき理由で上告人の主張を排斥したのは、判決の理由に齟齬があるか、審理不尽ないし理由不備の誤まりにおちいつたものというべきで、原判決の引用する判例は売主と転買人との間に権利移転に関する合意が全く存しない場合に関するものであるから本件には適切でない。原判決の右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破毀を免れず、本件はなお上記の諸点について審理を必要とするから、これを原審に差戻すのを相当と認める。
本件上告は理由があるから、民事訴訟法第四〇七条第一項により原判決を破毀し、上記の理由で本件を横浜地方裁判所に差戻すこととし、主文のとおり判決する。
(裁判官 村松俊夫 江尻美雄一 兼築義春)
(別紙)
上告理由書
原判決の判断には、判決の結論に影響を及ぼすこと明らかな次の審理不尽、理由不備(又は理由齟齬)並びに法令の違背がある。
第一点、
一、原判決は、その理由において次の事実を認定している。
1、被上告人は、訴外小林守に対し、本件土地を含む三筆の土地及び建物を一括して四〇万円の債務の代物弁済として供したこと。
2、小林守から上告人が右四筆の物件を昭和三二年一二月三日買受けるについて、これより先同年一一月頃、小林は被上告人に相談した結果、本件土地については小林守が代物弁済として被上告人から譲受け更にこれを上告人に売渡すことになるが手続を簡略にするため、許可申請手続上は被上告人から直接上告人が本件土地上に畜舎を建築するため農地法第五条による県知事の許可を条件に譲り受ける形式を持つて右当事者が同知事に右許可申請書を提出し、右許可後は被上告人から直接上告人に所有権移転の登記をすることになつたこと。
3、其の頃、被上告人の妻山中光香が本件土地の売渡通知書(甲第二号証)を小林守に渡したこと。
4、被上告人は、右許可後の所有権移転登記のため山中名義の白紙委任状(甲第三号証ノ一)及び同人の印鑑証明書(同号証ノ二)各一通を小林守に交付したこと。
5、小林守は右の事情を其の頃、被控訴人の代理人高橋亀市に話し、同人もそれを了承した結果、前記の通り同年一二月三日本件土地を含む四筆の物件について小林守と上告人間で契約が成立したこと。
6、其の頃、右合意に基き、上告人、被上告人連名の農地法第五条による県知事の許可申請書(甲第四号証)が作成され右申請書に基き昭和三四年三月一日神奈川県知事の許可があつたこと。
二、右の事実でも明らかな様に上告人は本件土地を含む三筆の土地及び建物を小林守から買受けるについてこれが完全な所有権の取得及び登記が得られゝば買うというのであり、若しこの目的が達成されなければ譲受ける筈はないのである。
それでこの旨を昭和三二年一一月末頃小林に要求し、小林はこの旨を被上告人に話し同人はその旨即ち本件土地について上告人が完全な所有権を取得するため、被上告人から上告人に直接所有権を移転することを承諾し農地法第五条の許可手続及び許可後所有権移転登記をすることを承認したものである。
若し右の承諾がないならば被上告人は所有権移転登記に必要な権利証(甲第二号証)印鑑証明、委任状(同第三号証ノ一、二)を小林に渡さないし、又農地法第五条の許可申請書甲第四号証を上告人と連名で提出する筈はないし、又常識的に考えてみても事前に上告人の完全な権利取得の方法について話し合いをしそれに基き知事の許可申請書の提出及び許可後の移転登記に必要な書類を交付した場合、内容的な権利移転についての合意がなくて単に形式的な登記のためのみの合意をするということはあり得ないのであり、斯様な解釈は当事者の正当な意思解釈を誤つたものである。
不動産業を営む程の能力ある被上告人が上告人の権利取得についての要求の意を解せない筈はないし、特に転用許可申請書を双方で提出し、権利証等の登記に必要な書類を交付した場合それは内容的にも上告人が完全な権利を取得するための権利移転を承諾したこと明白である。
三、しかるに、原判決は、上告人と被上告人の間に知事の許可の原因となるべき所有権移転の合意がないから所有権移転の効果は生じない、として結局上告人の主張を排斥した。若し小林から本件土地を譲受けた上告人が被上告人に相談なく、突然権利取得を主張したというのであれば格別前記の如く事前に小林守をして上告人が完全な権利を取得するためこの旨の協力方を相談し、上告人もこれを了承して被上告人から上告人に対し直接農地法第五条の許可手続をなすことを承諾しそして許可後所有権移転登記に必要な権利証等一切の書類を交付したのである。この事実は法律的にみれば原判決に言う如く単なる中間省略的な手続のみ承諾したというのではなく被上告人より上告人に対し農地法第五条により所有権を移転し(被上告人と小林間の契約を被上告人と上告人間の契約に更改)上告人が完全な権利取得を承認したとみるのが常識であり、それが論理法則、経験則にも合致するものであり、正当な採証の法則である。
ましてや不動産業者である被上告人が県知事の許可申請書(甲第四号証)が何を意味するかを解しない筈はないのである。原判決は農地についての取引の実体を充分考究せず経験則に違背し採証法則を誤り上告人と被上告人間に所有権移転の合意がない旨判断したもので、審理不尽、理由不備(又は理由齟齬)の違法がある。
第二点、
一、原判決の理を以てすれば、本件土地と共に譲受けた大和市深見一ノ関四六三番の一宅地九四坪(当時農地にして小林久兵衛所有名義)の土地についても上告人は完全な権利を取得しないことになるが、原判決は、この土地については上告人の完全な権利取得を認めており矛盾していることになる。
蓋し、原判決の通り単に中間省略登記をしようというのであれば小林守が被上告人と話し合い同人の合意を得た昭和三二年一一月当時は右土地は農地であつたからである(甲第一三号証参照)。しかるに右土地についても被上告人は上告人が完全な権利取得を承認しこの権利取得の方法としてこの土地が当時小林久兵衛の所有名義であつたところから宅地に地目変更の上右小林から上告人に直接所有権を移転し、且つこれが旨の取得登記をなすことゝし、斯様な処置をとつているのである。
原判決は、本件土地を含む前記三筆の土地及び建物に関する全体についての上告人の権利取得について経験則に違背した判断をなしており、審理不尽、理由不備の違法がある。
第三点、
一、原判決の援用する最高裁判所昭和三八年一一月一二日言渡しの判決(民集第一七巻第一一号第一五四五頁)は農地について転々と売却され転買入が最初の売主に対し県知事に対する農地法の許可申請手続等を求めた事件である。
従つて本件の如く売主たる被上告人と買主たる上告人との間に合意が存在し、且つ双方申請による転用許可申請手続がなされて知事の許可も存在し、又許可後所有権移転登記に必要な一切の書類も交付されている本件とは事案において全く異るのである。
本件の如き事案においては売主たる被上告人と買主たる上告人との間に権利移転に関する合意が存在するとみるのが論理法則、経験則に合致するものと言わねばならない。